日本最古の観音巡礼。西国三十三所のはじまり。

養老2年(718)、大和長谷寺の開山徳道上人は、病にかかって仮死状態になった際、冥土で閻魔大王と出会います。閻魔大王は、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさいと、起請文と三十三の宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、閻魔大王より選ばれた三十三の観音霊場の礎を築かれましたが、当時の人々には受け入れられず、三十三の宝印を中山寺の石櫃に納められました。

それから約270年後、途絶えていた観音巡礼が、花山法皇によって再興されます。花山法皇は、先帝円融天皇より帝位を譲られ、第65代花山天皇となられますが、わずか2年で皇位を退き、19歳の若さで法皇となられました。比叡山で修行をした後、書寫山の性空上人、河内石川寺の仏眼上人、中山寺の弁光上人を伴い那智山で修行。観音霊場を巡拝され、西国三十三所観音巡礼を再興されました。


憧れの巡礼路「西国」の由来。

西国三十三所の総距離は約1000㎞に及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と2府5県にまたがります。また、中世日本の首都であり文化の中心であった京都に、三十三所のうち三分の一の札所寺院が集中していることから、憧れの巡礼路として、その人気は全国に広がりました。やがて遠方により巡礼が困難な人々のために、各地に写し霊場が創設されます。西国三十三所とあわせて日本百観音霊場に数えられる坂東三十三所、秩父三十四所は、その代表的な巡礼路です。西国三十三所の「西国」は、当時憧れであった最古の巡礼路が坂東から見て西にあったことからきています。


閻魔大王から授かった三十三の宝印が御朱印のルーツ。

御朱印は、徳道上人が閻魔大王から授かった三十三の宝印が起源といわれています。閻魔大王の約束の証である宝印を三十三所のすべての寺院で集めると、極楽浄土への通行手形となる。また、御朱印は札所本尊の分身ですので、大切にお持ちください。


「念彼観音力」観音菩薩の慈悲の心をいつもそばに。

「法華経」普門品第二十五(観音経)には、観音菩薩は三十三の姿に変身し、人々を救うと書かれています。いかなる困難に出会っても、常に観音菩薩は慈悲の心で見守っておられます。どうぞ観音菩薩の導きを信じ「南無観世音菩薩」とお唱えください。